デカルトの心身二元論によって体から分離された心は、身体同様測れるものであると考えられるようになり、その方法は心理学で研究が進んだ、一方、人工知能や人工生命の研究の進歩を通じて、人間の心や意識の所在が研究されるようになると、知識の身体化が解明されるようになり、心や意識は身体と一体で創発するものであることが明らかになってきた、一方で、創発した心や意識がどのように認知リソース化するのか、また、それら認知リソースがどのような人間性となって社会性を発揮されるのかは、心理学の功績が大きく寄与している一方で、能力という類推から生まれる概念は環境のリソースによって引き出される極めて状況依存性の高い高次脳機能であって、現実的に能力と称される一貫性を持って内部に保有される機能を環境から独立したものとして測定することは出来ないこともわかっている、要するに学力が高くても、社会における問題や課題が解決出来るけでもないことがわかっているのだ。心理学が解き明かしたのはメタ認知という認知リソースは測定可能であるということである。私達はその認知リソースを同時に複数使いながら揺らぎをうみだしながら、気づきという認知的変化(知識を)を生成するのである、だから心理検査、性格診断といった仕組みは意識や心そのものを測っているのではなく、それらを生み出す認知リソースを測っている。
一方で、状況に依存して発揮される機能は実務から切り離して測ることは出来ない。能力テストとはあくまで能力テスト(学力検査)でしか無いのである。
要するに心の源は測れても能力を測ることは出来ないのである、実際、主宰者は20年以上に渡り、性格検査、能力テストのサービス開発と運用提供を行ってきたがどうすれば本当に知りたいことが測れるのかはずっと大きな問いであった、測るということは正しいものさしを正しく使う行為である。従ってサービスとしては正しいものさしであることと、正しく使われていることを保証しなければならない、そしてこの両方を実現するには設計から運用活用を通じて十分な知識を生み出す経験リソースが必要である。
主宰者が保有するリソースとスキルは以下の通り
診断開発尺度(ものさし)開発スキルとリソース 組織開発、人材開発、事業経営のスキルとリソース
サービス提供システムの開発スキルとリソース
以上を持って初めて何のために何をどういう仕組みで測るのかという知識が生成出来るのです。
測るということは実態に即したカスタマイズ抜きに語ることは出来ません、人の体型は様々なのに、ワンサイズの既製服を着るようなことが一般化していることは驚きに耐えません。プロスポーツの選手だって、ベストパフォーマンスを発揮するためには最適なプロ仕様の専用用具を使うのが当たり前です。